夜明けの空

―カウンセリングスクール日記―
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平 清宗

 研究の締切期日が近づいてきて
もう最終段階です。

この一年ほとんどの休みを費やしてきてますが
私を元気にしてくれた
一番の楽しみは「平清盛」でした。

前から平家が好きでしたが
もっと好きになっています。

私の母の着物の紋は、向かい蝶で、蝶紋なので
平家と少しは関係あるのかしらと空想しています。

新聞記事なども切り抜きをしてて
ちょっとマニアな感じです。

最近一番心に残った記事は
中国新聞の「緑地帯」に藤原巧和さんの書かれた

「清盛の周縁」という記事です。

歌人藤原定家の姉、健御前(けんごぜん)の回想記「たまきはる」に
平清宗の記述があり

平清宗は清盛の三男宗盛の長男で

「平家物語」では、壇ノ浦で父とともに生け捕られ
斬首に処せられる人物ですが

『「たまきはる」には

「清宗と言いし人は、その日、四ばかりにて院の御膝に居たりき。
限りなくもてなされし」

と後白河院の膝元で可愛がられた4歳ごろから、
「やうやう小男」(7歳ごろ)そして「大人の高さになりて」と

すっかり長じた14歳まで
健御前が実際に目にした清宗の姿が段階的に書かれている。

末尾は14歳の清宗を目にした健御前の

「昔見し人はきと目に立ちてあわれなりしに」
(昔親しんだ人なのではっと目について、懐かしかったけれど)

に続く一文、

「その秋、その人々みな発ちて、跡もなくなりにき」
(その年の秋、平家の人々はみな都をたって、消えうせてしまった)

でとじられる。

清宗に関する記事には感傷的な表現がほとんど見えない分

気がつけばすっかり長じた旧知の息子が忽然と都から姿を消したことへの
健御前の言いようのない感慨が読者の胸に迫ってくる。』

とあって、

平家追討の宣下を出した後白河院の膝???と、
そこまで親しかったのかとちょっとびっくりし

都に生き残った公家の人々も
何か言いようのない寂しさを感じただろうと

800年前に心が飛んだのでした。

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