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もうすぐ私の誕生日。
誕生日にリコネクティブ・ヒーリングを受けた私は
あれから何年たったかすぐわかります。
まだ2年しかたっていないの??とびっくりします。
この2年間を思いだすと、それ以前と比べると
とても精力的に行動しました。
自分にとってプラスになることばかりです。
今は、地に足がついてきて
バランスがとれてきた感じです。
ちょっと肩の力が抜けてきたかな。
なにせ目標が「寅さん」ですから・・
自己肯定感は確実に増したようです。
「私は私のままでいい」
考え方のくせは、なかなか変えれませんが
「再決断」し、良い気分を「選択」するというのが
わかってきた気がします。
体力的にも2年前よりUPしました。
週2回の筋力トレーニングを心がけています。
体力がつくと体はかえって楽になります。
よく眠れて元気になります。
心と体はつながっているんですね。
昨日は、2人ずつでカウンセリングの演習でした。
15分ずつカウンセラー役とクライエント役を交代して
演習します。
それを録音して逐語録を作る宿題が出ました。
生徒からの質問に「人生相談を受けている気がする」というのが
ありました。
その答えに、勝見先生は
「実際のカウンセリングは、こうしたらいいのではないか
ああしたらいいのではないかという問題ではない。
どうにもならない問題を抱えた人がやってくる。
助言しても役にはたたない
そんなことは承知だが、こうなってしまう。
小手先の表面的な対応では役にたたない。
一番の基本は、
理解されるという経験が変化の一番の土台。
カウンセラーが理解したことをいかに伝えるか
理解されたという体験があって
次に進むことができる
それを心がけていくしかない。」
と言われました。
前日、カウンセリングを受けた私はその言葉がよくわかりました。
ティム・ゲナールは
「心の傷から立ち直る第一歩は
自分の苦しみを受け入れることです。
そのためには
少なくとも1人の人に自分の悲しみや苦しみについて
話さなければいけません」と言っています。
自分の話をしっかり聞いてもらうことで
自分はこう考えていたんだということがわかります。
私は被害者意識いっぱいだったなぁとわかりました。
スクールには、下の妹の車で行くのですが
その途中で
「普通の人は無意識と言われてもわからんよね。
スクールに行ったからわかるし、
夢分析してしてもらった、いうのも縁よねぇ」と妹が言いました。
本当にそうです。
オーラソーマがあったから、カウンセリングに興味をもった。
カウンセリングスクールに行ったから
夢日記もつけていたし、その日の夢も思いだせた。
そして、一年通ったおかげで
藤南先生の言葉の意味がすぐにわかりました。
すべてはつながっているんですね。
今日になって
自分の中に傷ついた赤ちゃんがいるからこそ
傷ついた人の気持ちもわかると思えてきました。
よい気づきをもらえました。
生真面目で神経症的な性格の人は
必死で自分に「がんばれ」、「強くなれ」と
言い聞かせ、けなげに努力しています。
そういう人たちの「努力」とは
たいていの場合、自分の生き方のためではなく
他人に見捨てられたくないという
不安によるものです。
(中略)
「自分はこんなにがんばっているのに
まったく報われない」と嘆いている人は
「こうあらねばならない」という
思い込みにとらわれすぎているために
努力が空回りをしているだけなのです。
―たかたまさひろ「リラックスブック」大和書房ー
18日にデパートの占いの店にふと座り
そこで
「あなたは、霊感とか何かが見えるとか
そういう能力はないから
今はそういうのを教えるという所が
あるけれども、教えられて出来るものではない。
向いていない。
あなたは、美しい物に囲まれて
それに共感してくれる人と商売をしたほうがいい」
と言われました。
「自分の体を大事にした方がいい
でないと、心筋梗塞とかになりやすい」
と、ゴボウ茶を勧められました。
私は、オーラソーマのレベル2を受けるかどうかと
カウンセリングの進級をするかどうかで
今、迷っていて
本当はちょっと背中を押してほしかったのだと
思います。
それで、その占いを聞いて逆に落ち込んで
向いていないことを無理に努力しようと
しているのかな
自分が本当にしたいことって何だろう?
とまたわからなくなったのでした。
夫に、「そんなんで落ち込むんだったら占い禁止」と
言われました。
そんな時この本を読み
「生真面目で神経症的な性格」は自分で
「努力が空回り」しているのかなと、思いました。
今日、また別の本を読みました。
その本の一文
「まったく病気がない人が、
なぜひきこもりになってしまうのかといえば
そもそも自分に自信がないからなのです。
自信がないのであれば
それを分析して克服すればいいのに
ただ人を恐れているだけ。
なぜ人を恐れるかといえば
自分は人より劣っていると思っているから。
それならば、人より優れている人間になれば
いいわけでしょう。
努力して知識と教養を手に入れ
人を論破することができるくらいになれば
堂々としていられるものです。
何か一つ、人より優れたところをもてば
それが自信につながるのです。」
―三輪明宏「人生学校虎の巻」家の光協会―
このほうが私らしい、と思いました。
今ちょっと不安なのは
自信がないからです。
でも、習ったばかり
習い始めたばかりのことに
自信があるはずがありません。
(習いはじめでも実はトールは自信がありました。
本当はそっちの方が向いてるとは思います
逆に簡単に思えて、難しいことがしたいのかも)
向いているか向いていないかはわからないけれど
コミュニケーションに対する劣等感を克服したいと思います。
下の子は「3匹の子豚」の絵本が好きでした。
毎晩その本を持ってきて
何回も読んでくれるようにせがみました。
ある時、私は3匹目の子ブタも
「おおかみに食べられてしまいました。」
「終わり」
と、勝手に創作して終わりにしました。
すると、子どもは、大声で泣きました。
私はちょっとした冗談のつもりでしたが
その反応にびっくりして
反省しました。
子どもにとって、3匹目の子ブタは
きっと自分だっだんだなぁと
あんな風に泣かすつもりはなかったのに、と
今、思いだすと
ちょっと切ない思い出です。
子どもが3才のころから、
ぶっくくらぶという絵本の宅配便をとっていました。
毎月2冊送られてくる絵本を
親子で読んでいました。
その本についてくる小冊子に
「7才までは夢の中」という言葉がありました。
7才までは、夢の中にいるようなものだから
なるべくテレビなどの過激な映像の刺激は
避けたほうがいいという趣旨の話が書いてありました。
とはいえ、テレビは我が家に溶け込んでいて
見せずに過ごすことはできませんでいたが・・
先日、「外国の金貨」の思い出を子どもが言いました。
上の子が小学校2、3年生の頃の教科書の中に
抜けた乳歯を枕の下に入れておくと
外国の金貨に変わった
という話がありました。
それで上の子は、
「今日、抜けた歯を枕の下に入れる」と言って寝ました。
すると、あくる日「本当に外国のお金に変わった」と言って
喜んでベッドから出てきました。
2回目も歯を枕の下に入れると言って寝て
外国のお金になりました。
それを知っていた下の子は、
黙って、抜けた歯を枕の下に入れました。
歯は、外国のお金に変わらず
下の子は、置き方が悪いのかと思って向きを変えたり
ティッシュから出してみたりしたですが
結局、変わらなかったのです。
上の子はずいぶん、後になって(中学生)
親が入れていたのだと気づきました。
この話を思いだし「7才までは夢の中」というのは
本当だなぁと、ふと思ったのでした。
小学校にいくようになってもまだ
物語を信じられる感性が子どもにはあるんですね。
今、子どもに読んだ絵本を思いだしても
私も一緒に絵本の中に入りこめたと思います。
先日、下の子が言いました。
下の子の学級は、1人、不登校の子がいます。
その子の家に、明日行くという話をしながら
「運動会が楽しかった、いうても
一人欠けとるし
文化祭が成功した、いうて
喜んでも、一人欠けとるんよ」
その言葉を聞いて
人の痛みの分かる子に育ってくれたと思いました。
それは、絵本と無関係ではないと思います。