夜明けの空

―カウンセリングスクール日記―
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心理検査入門

 21日に森田祐司先生の講義を聞きました。

心理検査の種類を習い、実際の絵を見ました。

人には、相反する気持ちがある

自分のことを見てみたい気持ちと見たくない気持ち

人に自分のことを知ってほしい気持ちと
そうでない気持ち

その気持ちに配慮して、信頼関係を形成する

テストの結果を断定しない

「今日の検査では〇〇」
「〇〇という傾向がありますか?」

そして感想を尋ねる。

全然違いますと言うか
当たっていますと言うか

その答えで受け入れが出来ていないのか
検査が充分出来ていないのか、推測できる。

けれども、決めすぎない。
「AかあるいはBの可能性も」とそのまま記述する

時間がたってから明確になることもある。
ということでした。

描画法をしました。

「木を1本描いてください」

描いた後

「今のとは違う木をもう1本描いて下さい」

と描いてもらう。

実際、私の描いた木を見て
確かに性格あらわれるなぁって思いました。

自分からみて「型にはまった絵」でした。

2枚目に針葉樹の葉がとがっているのを描いていて

内面的には「環境をあまり意識しない」「自我が強い」
「攻撃性を秘めているけど、出さないようコントロールできている」
と読めるみたいでした。

もうひとつ

「家と木と人を入れて
何でも好きな絵を描いてください」というのもしました。

いろいろな人が描いた絵を見て
心が表れているのがよくわかりました。




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不登校児とカウンセリング

 19日に小早川久美子先生の講義を受けました。

不登校はどの生徒でも起こりうること

学校の生活は不登校でない生徒でも
ストレスに満ちたものであること

中1など環境ストレスの高まるときや
仲間集団関係による挫折などにおこることがあり

過剰反応は
発達上の思春期心性の一般的現象である。

適応しようとして頑張る子が
5人の仲間のなかで、2人2人になってういた等

サポートする人は

「問題があっても、課題解決思考で変化し得る柔軟な家族」
という理解で

保護者を支援するという視点が必要。

多軸で考えること
大人自身が自分の生を享受していること

を言われました。

先生から見て同じグループだった子に
「早く出ておいでよ」等言わせると

その子にとっては
自分を仲間はずれにしたグループに言われることになり
よけい不信感をいだかせることになるので

細やかな配慮が必要ということでした。

学校の先生は月に1〜2回訪問することが
多いようですが

保護者はもっと来てほしいと思っている
子供はあまり来てほしくない。

「みんな待ってるよ」と言うとプレッシャーになるので
来てほしくなくなる。

あなたのことが心配で来たよという対応で
学校の話をせずに信頼関係を持つ

という話でした。

どの講義でも、相手を尊重し信頼関係を築く
という話を聞き
結局そういうことなんだなぁって思います。



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アロマの会

 前世リーディングを受けたことがきっかけで
19日にアロマの会をしました。

日焼け止めクリームを作ったのですが
なぜか固まらない。

先生のレシピを参考に
そのとおり作ったのですが・・

おかしいなぁ???

でも、スピリチュアルな話もできて
とても楽しい会でした。

思えば1年前、妹と考えた願い事は
こんなことだったなぁと思いだしました。

2人でスピリチュアルな話ができる会をしたい
って言っていました。

思えば、そんな話がしたくて
いろいろな人に話ましたが

聞いてはもらえましたが
後から思うと
私が何かにはまったみたいという対応でした。

その時は、どう思われてもいいや
と思って話していましたが

いまは、そんな話ができる人とたまに話せたらいいなって
思います。

と、いうことで
私にとってとても落ち着く空間でした。

来て下さった方
ありがとうございます。

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カーネーションの周防さん

 NHKの朝の連続テレビ小説、「カーネーション」に
「周防さん」が登場してから毎日見ています。

先週の分を昨日見てから
今日はドキドキして眠れません。

カッコいい〜

インターネットで「あぐり」のエイスケさんに似てる
という記事が出ていましたがどこか雰囲気ありますね。

糸子ちゃんの片思いだと思って見ていたら
なんと両思いだったとは・・



「おい、もです。おい、も好いとった。
ずっと。」


キャー

でも、周防さんは妻子持ちだし、
この時代、離婚もありえないし

たとえ離婚しても
それでは幸せになれそうにないし

ハッピーエンドになりそうになくて
今から心配です。

えーん

なんとかハッピーエンドにして欲しい!!

いらない心配を抱えこんでしまったみたい。

またもやもやしながら次の展開を待つようになるのかと
思うと、両思いはよかったんですけど
なんだかしんどいです。

あのおとなしいけど頼りになりそうなところが
いいんですよね。

何回も再生して見ちゃいました。



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加速がつく

 3畳の和室がきれいになった話を載せました。
 
昨日、妹のブログの読者さんのブログを見ていて
震災の支援に長靴が欲しいという記事にたどりつき

早速、送りました。

我が家には、1度も使っていないのと
1度か2度くらいしか使っていない
ほこりをかぶったゴム長靴が3個あったのです。

瀬戸内地方で、同じところの行き帰りがほとんどなので
買ったもののほとんど使わない
むしろ、いらないモノでした。

だんだん部屋がすっきりするにつれ
どんどんいらないモノが出てきました。

私たち夫婦が高校の頃買った文庫本(黄ばんで少しカビが・・)や
トールの本や看護の記録の本など処分したり
もらっていただいたりしました。

服はイズミで商品券に変わりました。

後は、英語カセットかなぁと思っていたら・・

なんと母がそれが欲しいというのです。

そのカセットは、夫のもので
でも昔の辞典のような装丁でとてもかさばるものでした。

何回か聞くのをチャレンジしたものの挫折したモノです。

なんかシンクロニティを感じました。





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アンネフランクの証言

 1944年3月7日
アンネは彼らの苦難について書いています。

「私はどんなときでも、美しいものは残されていると
気づきました。

自然における太陽の輝き

あなたの心にある自由・・・・・・。

こういった全てはあなたを助けることができます。

このようなものを発見してごらんなさい。

そうすれば、あなたは再びあなた自身や神を見出します。

そして、あなたは再びバランスを取り戻します。」

1945年3月
アンネはバーゲン・ベルセンの強制収容所で
発疹チフスのために亡くなりました。

驚くのは、ある生存者が
アンネの最期について

「彼女は何も悪いことは起こらなかったと感じながら
穏やかに死にました」

と当時を思い出しながら語っていることです。
(中略)

最後の最後まで続いた悪夢の間
彼女は希望と勇気の精神に支えられていたのです。

そのうえ、彼女が秘密の隠れ家で書いた気取らない言葉が
世界中の人々の感動を起こすことになったのです。

  ―マーク・サーストン/クリストファー・フェイゼル
    「エドガーケイシ―に学ぶ幸せの法則」たま出版―


アンネ・フランクは、13才という時期に隠れ家に25カ月住みました。

その苦難を思うと、こんなに自由に暮らしている今の自分の
ありがたさが身にしみます。

ここに書かれている自然の美しさの賛美に心打たれました。
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魂のコード

 つまり、人生がいかに平凡に生きられようが
人生を照らす星の光がいかに弱かろうが

人生を形作るのは性格(キャラクター)だ、ということなのだ。

召命は人生に葛藤をもたらすものとは想像されなくなり
人生そのものの召命となる。

それは成功への召命ではなくだれかを愛し絆を結んだり
生きるために献身したり葛藤したりすることへの召命

正直に生きることへの召命だ。

この視座は、女性の人生における職業や
女性の人生観についても
考え方の転換を引き起こすだろう。

この見方に立てば、人生そのものが仕事なのだという。

これはもう一つの召命観を提供するのだ。
  (中略)

人々を稼ぎや特定の技能で測っている限り
その性格(キャラクター)を見ることはできない。

わたしたちのレンズのほうが偏見に満ちていて
フリークスばかりがよく見えるようになっているのだ。
  (中略)

現代の文明そのものは―傑出した人以外の価値を
測ることが出来ないようだ。
  (中略)

手短に、簡単に言ってみよう。

魂には平凡さなどない。

この二つの言葉は両立しない。
この二つは別な領域からやってきている。

「魂」は単一でかつ固有のものだ

一方「平凡さ」は人を社会的統計によって
―基準、曲線、データ、比較によって評価する。

人はどんな社会的カテゴリーのなかでも
平凡であると評価されるだろう。

個人的な望みや達成度すら
平凡だと測られるかもしれない。

しかし、そのような社会的な平凡さのなかで
ベル曲線のどこであれ

あなたの生き方がユニークな痕跡を残す。

すべてに逢う既成サイズなどないのだ。

  ―ジェイムズ・ヒルマン「魂のコード」河出書房新社―


「測られる」とか「評価」という言葉に
自分が振り回されている気がします。

職場では「目標」とか「達成度」とかという言葉で
「測られ」たり「評価」されることが多くなってきました。

今年度の目標、達成度、今後の課題・・・

病床利用率とかで働きが「測られ」
人員が削減されます。

忙しくて時間外になり
超過勤務を書くと、能力を問われます。

一人のする仕事には限度があります。

また、人間相手の仕事に効率はありません。

人間は既製品ではないので
「測る」ものではありません。

でも、ずっと「測られて」いるうちに
考え方がそれに染まってしまいそうです。

だから、こんな本を読んで
元に戻したいのだろうと思います。

「人々を特定の技能で測っているかぎり
その性格(キャラクター)を見ることはできない。」

性格(キャラクター)に目を向け
それを大事にする心

こういう本ばかり読んでいます。

「誰かを愛し、絆を結んだり」という
日々のふれあいを大事にしたいです。
生き方のはなし | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

シンプルを極める2

 私たちの持ち物が人を傷つけることはできません。
モノはいつも近くにいて、私たちを守ってくれます。

それは私たちの楯、安心、擁護するもの、と
このような幼年期トラウマを持つ人たちは語ります。

ある人たちは自分を保護するために
モノの囲いを周りに張り巡らせます。

そうして外界と自分の世界とを遮断するのです。
(中略)

そのガラクタの山を片づけると
一旦は身軽で自由な気分になるもののほんの束の間

アッと言う間に自分の周りにモノを溜めこむことを始めます。

それは人目に「さらされている」のが怖いからなのです。

 ―ドミニック・ローホー「シンプルを極める」幻冬舎―

この本で初めてこんな見方があったのかと
知りました。

私は、依存症かと思うほど、ある時は骨董品
ある時はトールペイントの本(今も本)を買っていました。

私は絵画的で美しいものが好きです。

花唐草のそば猪口とか、月や花が描かれた重箱の蓋とか
トールの絵とか

それらは持っていてももったいなくて使えず
使えないものはしまわれたままで

モノとしては、非常にかわいそうな環境でした。

本にしてもたびたび読み返すものはきれいですが
読まないものはかびたようになって古びてしまいます。

それならば、多くの人にみてもらった方が本もうれしいと思います。

今日、その骨董品や壊れたストーブ、ファンヒーターを処分しました。
骨董屋のおじさんは2千円くれました。

もうあんな無駄遣いはしないと心に決めました。

心にひっかかっていた重荷が少し落ちました。

3畳の和室がやっときれいになりました。


(この部屋は、夫の財運の部屋です。いままでゴメン)

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ミドル・パッセージ

 ミッドライフ・クライシス(中年の危機)を

私はそれをむしろ
ミドル・パッセージ(人生半ばの通り道)と呼びたい

とこの本にはあります。

「ミドル・パッセージでわたしたちは
自分の情熱を見つけるよう招かれる。

痛みを感じるほど深く、生と自分自身の本質に
わたしたちを引き入れるものを発見することは

その体験がわたしたちを変容させるがゆえに
不可欠なのである。

輪廻転生を信じる人が考えるように

わたしたちは、あらためてこの世に戻ってきて
別の可能性を生きるチャンスをもつのかもしれない。

しかしたとえそうであっても
それはまた別の人生なのであって、この人生ではない。

わたしたちは、それを完全に生き抜くべく
この現在の人生に招かれている。

わたしたちは、過去について愚痴をこぼしたり
ためらったり恥じたりしながらでは
死や病に向かっていくことはできない。

もしわたしたちが自分自身になりきるために
ここにいるなら、いまこそがその時なのである。」

  ―ジェイムズ・ホリス著「ミドル・パッセージ―生きる意味の再発見」
               コスモスライブラリー

藤南佳代先生の翻訳された本です。

人は人を許そうとする時
一人以上の人に話を聞いてもらわなければならないと

非常につらい体験をした人の記事を読んだことがあります。

妹が私について、「変わったと思った」と言ったことがあります。

そのきっかけは、私が専門学校の時、合宿でカウンセリングの先生と
ワークショップをした時です。

小柳春生先生と澤田章子先生のグループで
自分のことをそのグループの人に聞いてもらった。

その後、一大決心をして寮の役員になった私に

そのグループで一緒だった、決して仲良くなかった
むしろ、苦手だった友人が

「ガンバっとるじゃん」と声をかけてくれました。

それから私の中の対人恐怖がなくなったように思います。

はきはきしていてきつい感じがして
ちょっと怖いと思っていた人が実は怖くなかった。

怖いと思っていたのは、私が偏見を持っていたからだと
わかったのです。

わかりあえたら、人っていいなぁと思いました。



年末に藤南佳代先生に話を聞いてもらったことで
私の中の被害者意識は確実に減りました。

今まで過去にこだわっていたことがよくわかりました。

もう過去にとらわれる必要がないことも。

よく見るのは、ジェット機の離陸する夢です。
行先は、南の島。遊びに行きます。

海水浴が楽しめます。

そこに行くには、すごいスピードのジェット機に
乗らないといけません。

それに乗って前の障害物をよけて離陸している夢です。

なにか乗り越えられた感があります。

心が穏やかです。
夢分析 | permalink | comments(1) | trackbacks(0) | - | -

瓦煎餅をみて思うこと

 瓦煎餅とかサブレの類はそれをベースに
いくらでも名物や土産物を作ることができる。

表面に文字や線描を浮かび上がらせればよいのだから。
いわば瓦煎餅やサブレは土産物界において
オールマイティな存在である。

けれども、いくぶん面白味を欠く。
事実上全国均一な土産物なんか虚しいだけであろう。
(中略)

患者さんたちは元来、真面目で責任感が強い人たちが多い。

ただし今どきの世の中では、
あらゆる局面において誠実に全力投球をすることなど
無理である。

時には手を抜いたり、お茶を濁すことをしなければ
心身ともに疲弊していくだけである。

ところがそんなふうに「適度ないい加減」さを
発揮できない正直者が

いかなる場面においてもオールマイティーに
有能かつ誠実に頑張ろうとするあまりに

ストレスを溜めこんで破綻してしまうわけである。

そのような人たちは、自分の特性や得意分野
といったものをあえて無視して

わざわざ土産物界の瓦煎餅を志しているようなものである。

瓦煎餅のような人材は、便利ではあっても
いくらでも取り換えが利く。

オールマイティー幻想は捨てたほうが賢明だと
いつもわたしは診察室で思うのである。

  ー春日武彦「何をやっても癒されない」角川書店―

昨日に引き続いて同じ本です。

このごろ、だんだんと何かしめつけがきつくなった感があります。

何というわけではないけれど

「〇〇するのが当たり前」とか
「〇〇しないでおいて〇〇」とか

「こうすべき」という正論を言われると反論はできません。

人間なのだから、そうはいかないと、心のなかで思います。

きつきつでなく緩みが欲しい。

この文章が心に留まったのは
いかなる場面でもオールマイティーに頑張らなくていいよと
言ってくれているからです。
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