夜明けの空

―カウンセリングスクール日記―
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サンフレッチェ初優勝

 一ヶ月前から休みを取っていたにもかかわらず

チケットが予約で完売だったので
ビッグアーチには行けませんでしたが

広島クレドの大型テレビでサンフレッチェ広島を
応援しました。

小雨が降ってましたがすぐやみました。

ビッグアーチは、雨が降っていて
結構近いのに天気がちがうんですね。

試合はサイコー
周りの人の拍手があり盛り上がりました。
家で見るよりクレドに行ってよかったです。

1点目のゴールの後の弓を射るパフォーマンス
よかったですね〜

2点目がすぐ入ってホッとしました。

3点目のPK、寿人選手の笑顔が
よかったです。

ハーフタイムでは、なんとビッグアーチに
虹がかかってました。

後半そうそう4点目
サンフレッチェらしさあふれた試合でした。
最高!!



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肩の荷がおりる

 昨日は、研究発表の日でした。
この1年ほとんどこれに時間を費やしてきました。

今日職場に行くと
「肩の荷がおりましたね」と声をかけられました。

肩の荷がおりたというか
気が抜けたというか

昨日帰ってから

こうすればよかったと反省したり
もっと要領よくできたのではないかとか
自分の一人よがりに、人をまきこんでしまったのではないかとか
大学の先生にもご迷惑かけたし・・と

落ち込んできたので
何もせず

ポカポカ(我が家には温熱器があります)に入って
寝ました。

今日は運動がしたいと思い
トレーニングルームで30分くらい筋トレしました。

仕事に行ってもちょっとやる気が起きなかったので
少し気持ちが下向いているようです。

ここんとこ本当には休んでないから・・

少し無理しすぎだったかなぁ






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私の番

 8日にHさんのお宅に再度お邪魔させてもらい
20分録音した会話を逐語録にして、今日が私達の番でした。

1例目は、一回り年上の隣の老夫婦との付き合いに
悩んでいる男性の話でした。

最初に要約をしてまとめたらよかったのではないか

あまり経過を聞いてもしょうがないので
「となりの人間関係に困ってきているんですね」とか
「この先どのように付き合っていこうかと悩んでいるのですね」

なぜ付き合うのか分かりにくかったので
もう少し話を確認していったらよかったのではないか

「あなたとしてはどういう付き合い方をしたらいいのですか」
などの意見が出ました。

「付き合っていくのがしんどい」のだが
付き合わなければいけないと思っているのが問題

悩まなければいいのに悩みを作っている
何に悩んでいるのかもっと聞かなければいけない

もっと焦点を当ててあげないといけない

相づちも抑揚があったほうがいい

わからなければ、「ええー」と言ってもいい
物わかりのいいカウンセラーになる必要はない
ということでした。

例えば、失恋して「死にたいんです」と言う人に
「失恋したら死にたくなりますよね」と言うのは近づき過ぎ。

「そうですよね」の発言が結構ある
カウンセラーの方が分かりすぎている。

同情。 分かりすぎ。

淡々と距離をとって「そう思うんですね」と返すと
考える材料になる

「あなたはそう思うんですね」とちゃんと返しましょう」
あなたはそれが辛いんですねと距離をとって共感。

同情するのではない

という話でした。

2例目は私たちの番でした。
長男の家庭の問題で悩んでいる59才の女性の話

先生に言われたのは
「几帳面すぎるね。フランクに話をしたらいい」
ということでした。

どこかで聞いたような・・
大学の先生にも「文章が固いのでもっと柔らかく・・」と

焦点というと感情。

不満だらけなので。

焦点を当てようと思わなくていい全体の流れに沿っていけば

状況をきちっと分かろうとして逆効果になっている。
状況確認に終わっている。
お互いに几帳面合戦。

クライエントの根底にお嫁さんへの怒りがある

「お嫁さんにどう言ってやりたいですか」と
感情を出させてあげる

気持ちの部分が抜けてる

「実はね」とクライエントさんが話し出す
聞きたいことは出てくる

近づきすぎてもいけないし
離れすぎてもいけないし
冷静になりすぎてもいけない

難しいなぁって思いました。

家に帰って思ったのは
私は、要約しようとばっかり思っていたかなぁってことでした。

そういえば、言い換えられたとき
息子は悪くないのに、お嫁さんのせいで
という気持ちが透けてみえたなぁって思い出しました。

相手が何をいいたいのか
感性を持って聞くことが大切なように思いました。




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カウンセリングと現代の暮らし

 皆藤章先生の特別講義を聞いてきました。

皆藤先生の話を直接お聞きすると

テレビなどとは違って
体感するものがあります。

皆藤先生の話を聞いて一番思ったことは

「私は患者さんに本当に一人の人として接していただろうか?」

という疑問でした。

忙しさを言い訳に症状だけ聞いていたのではなかったか

その思いにきちんと向き合えていただろうか・・・

ユングの話を聞きました。

人間の心を球体とすると
心の底には普遍的無意識がある

自分より前に生きた人の意識が心の底に眠っている

神話の世界は個人の心にうごめいている

人は無意識を含めて全体を生きることを望んでいる

「人間は生きるために物語を必要とする」

親や文化や慣習など外からくる物語
そんなのにのっとっていたらあまりゴチャゴチャ考えなくて済む

けれども、今は自分で物語を作っていく時代

食べることに困らなくなった時代に食べることができない病気
摂食障害が出てきた

文化や社会のありようと関わっている

病は経験である
痛みやその他特定の症状や患うことの経験である

疾患は治療者の視点から見た問題である

治療者は患者や家族の病の問題を狭い専門的な問題として
つまり疾患の問題として再構成しなおす

例えば、いろいろ検査しても病名がわからない時
あなたの病気は現代の医療ではわかりませんという

もっと聞いてほしいかもしれない
たいがい医療者は聞かない

「病を生きている自分を受け止めてくれ」という思い

例えば、糖尿病でインシュリンを4回打ちしないといけない患者が2回しかしない
いつもは検査データだけ見て怒られていた

ある日その先生が「こんな雨の中ようきたな」と言って世間話をした。
それから2回打ちは変わらなかったがデータがよくなった。

先生の話は心に効いたんですよ。

皆藤先生がおぼろげながら見えてきた道、それは

「病気(disease)の克服への道とは違っていました。

私に見出されてきた道は病気の克服ではなく

病い(illness)を抱えて生きる道とその道程です」

死にゆく患者を助けることはできないというのは間違いだ
死にゆく患者のプロセスを助けることができる

「私が生きていることに何か意味があるの?」

→科学的な答えはない
 自分の人間観でしか答えられない

「かかわらなければ路傍の人」

心は人と人とのかかわり合いのなかで生まれる
このことを現代人はすごく忘れている

クライエントとカウンセラーが出会ううち
完全に重なると同一化

こらえきれずに親密になる

ギリギリのところでこらえると
「存在の知」から近くなる

ギリギリのところでこらえながら
心の深層に入っていく


そんな話を聞いて

私に関わってくれた人
その人の証人になろうと思いました。
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