皆藤章先生の特別講義を聞いてきました。
皆藤先生の話を直接お聞きすると
テレビなどとは違って
体感するものがあります。
皆藤先生の話を聞いて一番思ったことは
「私は患者さんに本当に一人の人として接していただろうか?」
という疑問でした。
忙しさを言い訳に症状だけ聞いていたのではなかったか
その思いにきちんと向き合えていただろうか・・・
ユングの話を聞きました。
人間の心を球体とすると
心の底には普遍的無意識がある
自分より前に生きた人の意識が心の底に眠っている
神話の世界は個人の心にうごめいている
人は無意識を含めて全体を生きることを望んでいる
「人間は生きるために物語を必要とする」
親や文化や慣習など外からくる物語
そんなのにのっとっていたらあまりゴチャゴチャ考えなくて済む
けれども、今は自分で物語を作っていく時代
食べることに困らなくなった時代に食べることができない病気
摂食障害が出てきた
文化や社会のありようと関わっている
病は経験である
痛みやその他特定の症状や患うことの経験である
疾患は治療者の視点から見た問題である
治療者は患者や家族の病の問題を狭い専門的な問題として
つまり疾患の問題として再構成しなおす
例えば、いろいろ検査しても病名がわからない時
あなたの病気は現代の医療ではわかりませんという
もっと聞いてほしいかもしれない
たいがい医療者は聞かない
「病を生きている自分を受け止めてくれ」という思い
例えば、糖尿病でインシュリンを4回打ちしないといけない患者が2回しかしない
いつもは検査データだけ見て怒られていた
ある日その先生が「こんな雨の中ようきたな」と言って世間話をした。
それから2回打ちは変わらなかったがデータがよくなった。
先生の話は心に効いたんですよ。
皆藤先生がおぼろげながら見えてきた道、それは
「病気(disease)の克服への道とは違っていました。
私に見出されてきた道は病気の克服ではなく
病い(illness)を抱えて生きる道とその道程です」
死にゆく患者を助けることはできないというのは間違いだ
死にゆく患者のプロセスを助けることができる
「私が生きていることに何か意味があるの?」
→科学的な答えはない
自分の人間観でしか答えられない
「かかわらなければ路傍の人」
心は人と人とのかかわり合いのなかで生まれる
このことを現代人はすごく忘れている
クライエントとカウンセラーが出会ううち
完全に重なると同一化
こらえきれずに親密になる
ギリギリのところでこらえると
「存在の知」から近くなる
ギリギリのところでこらえながら
心の深層に入っていく
そんな話を聞いて
私に関わってくれた人
その人の証人になろうと思いました。